「痛いのは我慢できるけど、痒いのは我慢できないから大変だね、かわいそうだね」
そんな言葉をかけられることがあります。
ですが、息子曰く「痒いのより痛い方が嫌(;ŏ﹏ŏ)」。
いろいろ痛い目に遭ったこともあるはずなんだけど、注射がダントツでナンバーワンらしいです(^~^;)
「痒い」「痛い」も必要な感覚
痒みや痛みがないのが楽に決まっていますが、「痒い」も「痛い」も生き延びるために必要な感覚で、体の異変に気づけるのは「痒み」「痛み」のおかげですよね。
私は昔、飲み会で記憶がなくなるほどお酒を飲んで、自宅に帰りついたものの、玄関先で寝ちゃったことがあります。目がさめたら「あれ?なんか痛い…」。「なんだ、なんだ?」と痛む箇所を見てみたら「うわ、血まみれじゃん!」…なんて経験をしたことがあります。よくよく見たら傷自体は大したことがなかったのでよかったけれど、「感覚がない」って怖いな…と思ったのでした。
痒いのと痛いの、どっちが大変か? 私は、どっちもどっちだと思うんです。
だけど、よく聞くんですよね。「痒いほうが我慢できない」「痛みは我慢できる」と。それは、もしかしてアトピーっ子への思いやり?
息子は掻きながらYouTube見て笑ってることもあります。「助けて~!」というぐらい痒いこともあります。痛い時だって、こんな感じになりますよね。
その痒み、痛みがどんな感じなのか、どうしたら少しでも緩和されそうか、自分でできるか、助けが必要なら、どんなふうに助けてほしいか。息子には、我慢するのではなく、そういったことも少しずつ言葉にできるようになってほしいと思っています。いつまでも私がそばにいられるわけでもありません。周りに伝えることを面倒がらずに、諦めないでほしいな、と。せっかくの体からのSOSですからね。
どんな目で見るか
周りに「かわいそうだね」という目で見られるのは心外なようで、息子は「かわいそうだね」と誰かに言われると「おれはかわいそうじゃない!」と反論します。常日頃、おいしそうにご飯を食べたり、好きなことをして過ごす息子と「あなたは幸せだね~」「うん、幸せだよ」というやりとりをしているからかもしれません。
痒くても、不幸じゃない。浸出液大放出でも、幸せを感じることはできる。そんな息子の姿を私はいつも見せられています。
「掻く」というのは自己治療行為なんですって。体の鈍っている箇所の血流をよくしたり、体についた不要なものをはらうために。傷をつけたり、血を出したりするのは、汚れた血を出して、新たにきれいな血をつくるため。
そう考えると、息子が痒くてジタバタしている姿も「この子は自分で治そうとしているんだな」「そこに何かあるんだね。ほかにできることはあるかな」という目線で見られます。
息子は痒い時に「ここにハンドパワーちょうだい」「マッサージして」「プハンして」と言ってくることがあります。毎度できるわけではありませんが、やってあげると気持ちよさそうに寝ちゃったりすることもあります。そんな経験を何度もしていると、痒みってスキンシップにも寄与してくれているんじゃないかとも思えてきます。だって、アトピーじゃなくても、背中が痒くて手が届かないから誰かに掻いてもらって「ありがとう」っていうスキンシップがあるじゃないですか。
アトピー掻きむしりのガリガリ音は12年聞いていても、最初にやってくるのは「嫌だな」という、お腹の底の方にどす黒いものが渦巻くような思いなのは変わりませんが、その後が変わってきました。「嫌だな」を感じきると、「必要なんだよ」「こうやって治っていくんだよ」「だから大丈夫だよ」と変化するようになりました。
おかげで「傷がつくんじゃないか」「血まみれになるんじゃないか」という恐れはだいぶなくなったのですが、私の中にはまだ「自分を大切にしてほしい、丁寧に扱ってほしい」という願いがあって「なんでそんなに雑に扱うのさ」という怒り、悲しみも出てきます。
「ガリガリ掻きむしる=雑な扱い」という私の思い込みがあるかもしれません。ガリガリ掻きむしるからこそ分かることも、出せるものもあるのかもしれない。この子は「よりよくなりたい」本能で掻いているのだと信じてあげると、少し心が軽くなります。
昨日、息子は汗をかいて、掻きむしった傷に染みて痛かったらしく。それを「掻き過ぎたからだよ」と見るか、「染みるほど汗をかけてよかったね」と見るかでも、気持ちや出てくる言葉が変わってきます。
何を見るか、どこを見るか
「痒い」も「痛い」も、感じられていることを喜べばいいのかもしれません。
例えば高熱を出してぐったりしている時。
いつもは強い痒みでジタバタする息子は、本当に具合が悪い時は大人しく寝ていられます(しばらく高熱を出していないので、はるかかなたの記憶ですが)。回復してくると、お約束のようにジタバタが始まって「あぁ、元気になってきたのね」と思います。
あれ、もしや私の中で「息子の元気バロメーター=痒くてジタバタ」の公式ができちゃっている?(^▽^;)
「息子の元気バロメーター=楽しく大笑い」に修正しよう(*’▽’)
子どもが痒がる、痛がる姿、助けを求める姿を見て、苦しくなっていませんか? 私は数年前まで苦しくて、何とかしたくてもがく中で、この苦しみはすべて「私のせいだ」と背負い込んで、当たり前のように頑張りすぎていることに気付きました。そしてそれは、だれも望んでいませんでした。少しずつ背負うのをやめてみたら、アトピーのことも、アレルギーのことも見え方が変わってきました。詳しくは無料メルマガに書いてありますので、ご興味のある方は読んでみてくださいね。
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