「〇〇も△△も食べられないのかい。かわいそうだね」
とばあちゃんに言われた時、息子は
「おれはかわいそうじゃない!」
と断言しました。
「その肌、どうしたの? ボロボロじゃん」
と同じぐらいの年頃の子に言われた時は
「別にいいでしょ」
と返しました。
そのやりとりを見ていて、私は内心ハラハラしていました。
だけど、後になって「これでいいんだ」と納得しました。
今回は、その辺を書いてみようと思います。
かわいそう
「かわいそう」と声をかけられるのは、だいたい
「(給食など)みんなと同じものを食べられなくてかわいそう」
「食べたいものを食べられなくてかわいそう」
という食べ物関係のことが多いです。
ここにどんな前提があるか?
食べられる=幸せ
食べられない=不幸
のような図式があるのかなと思います。
食べることは生きることにも直結するからでしょうか。
テレビ番組も、グルメ番組や大食い、デカ盛り特集など、やったりしていますもんね。
だけど、嫌いなものだったら?
食べる=不幸
食べない=幸せ
と、ひっくり返りますよね。
先日、友人の子がトマトが嫌いで、アレルギーと申告したがっている、というので
「うちの息子はトマトもアレルギーだよ」
と言ったら、その子に
「仲間だー!」
と言われました。
確かに、息子は大好きな食べ物だけど、アレルギーのため控えているものもあります。
だけど、おいしい食べ物は、ほかにもたくさんあるんですよね。
マルチアレルギーっ子でも
「うまかったー!」
と毎日満足してご飯を食べられています。
「食べられない」ことにフォーカスするか。
「食べられるものはあるし、工夫次第でもっと楽しめる」ことにフォーカスするか。
息子のマルチアレルギーのおかげで、遊暮働学(ゆうぼどうがく)できている感覚があって、たくさん成長させてもらえたなぁと感謝しています。
どうしたの?
心配そうに声をかける子。
単純に疑問に思って聞いてくる子。
そして、ノータッチの子。
息子の周りには、いろいろな子がいます。
息子の肌を見て
「どうしたの?」
と声をかけてくる子に対し
「別にいいでしょ」
という息子の対応にハラハラしたのは、私の中に
「心配してくれているんだから、説明したら分かってもらえるのに」
という思いがあったからでした。
だけど。
息子としては、その子に対して、肌について説明する必要性は感じなかったということかなと見えてきました。
自分で選んでいいんですよね。
肌のことで、その子に何か影響があるわけでもないですし、その子も、特に追及してきませんでした。
息子も、必要だなと思ったら話すんでしょう。
実際に初対面の方に、アレルギーやアトピーの話をしていることもあるので。
ちゃんと考えて行動しているんですよね。
私がやきもきする必要はない。
息子をもっと信頼していいな、と思いました(*^^*)


