「嫌だ、嫌だ」から見えるもの

息子が最近、「嫌だ、嫌だ」と寝ながら大きな声を出すので、起こされる日々が続いていて少々寝不足です。

何が嫌なのか。夢にうなされているのか。

病院で痛かったことを消化しているのか。

あるいは自分振り返り会を寝ながら開催しているのか。

可能性はいろいろ考えられます。

「嫌だ」と出せることを喜ぶ

「どうした?」と声をかけてみるけれど、「嫌だ、嫌だ」しか返ってこないので「そうだね、嫌だね〜」と体を撫でながらなだめています。

つい原因を探ってほぐしてあげたくなるけれど、それは詮索する必要はなくて。

本人が言いたくなったら言うし、言いたくなくても問題ない。

本人の中で葛藤があって、いずれ本人の力で乗り越えられることを信じられたら、今ある「嫌だ」の気持ちを躊躇なく表現できることを「よかった」と喜べる余裕が生まれます。

「嫌」が言えないのは苦しいから。

「嫌」が言えなくて「我慢」していると体に出てくるから。

自分にも問いかけてみる

親だから、大人だから「子どもに幸せでいてほしい」という願いがあって、「嫌だ、嫌だ」「おれ、頑張ってるのに」と泣かれたら、「何ができるか」「こうしたら」「何とか助けたい」と必死に考えたり、胸が痛んだりもするんだけど。

大事なのはそこではなくて。

子どもは日々葛藤を乗り越える経験をしている真っ最中で、それは大人になっても続いていくから、親がそばにいられる間にどんどん経験させてあげたらいい。

子どもが葛藤する姿を見て、子どもが絶対に乗り越えられるのを信じることができたら、オススメの行動があります。

それは、子どもから出てきた言葉をテーマに、自分の思いを発掘する作業。

「嫌だ、嫌だ」についても「私はどうよ?」と我が身を振り返る機会にしてみると「あれあれ? こういうメッセージかな」と受け取れることが多々あります。

「嫌だ、嫌だ」と騒ぐ息子は、私の奥底にあった「嫌だ、嫌だ」とくすぶっていた気持ちを表に引っ張り出してくれて、「何が嫌だったのか? じゃあ、どうしたいか? これからどうするか?」を考えさせてくれました。

考えてみて、私なりの答えに辿り着けると、不思議とおさまったりします。

子どもを何とかして早くなだめたくなるところですが、そうではなくて、内観チャンスを子どもに与えてもらっているのかもしれないなと思うようになりました。

目の前で起こることはメッセージなんだなぁと思うのです。


今はこんなこと言ってますが、私はかつて子どもの怒りや悲しみ、アトピーの掻きむしりにもうまく対処できなくて「私は母失格」と劣等感の塊になっていました。

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お母さんのセルフケア

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