「死」を感じた瞬間

19年前の今日、私は生まれて初めて全身麻酔の手術をしました。

そして、生まれて初めて、自分の意思とは全く関係なく意識が遠のいていく感覚に、ものすごく恐怖を覚えました。

「嫌だ!」

「死にたくない!」

「私はまだやり残したことがある!」

笑顔の看護師さんたちと母と妹に囲まれているベッドの上から無性に逃げ出したい衝動にかられました。

麻酔が効いて動けなかったんですけどね(笑)。

励ましてくれる母と妹の言葉も上滑りして、「なに、2人してニコニコしているの。助けてよ!逃がしてよ!」と胸の中で叫んでいました。

動けない体で、声も出せない状態で、心だけはジタバタ騒いでいましたが、見事に手術室からの記憶は全くなく。

目が覚めた時は暗い病室の中でした。

まだ死にたくなかった

目が覚めて、ものが食べられないとか、水も飲み込めないとか、真夏のエアコンが壊れた東京の病院で頭を1週間洗えないとか、いろいろ困ったことはあったけれど、それは生きているからこそで。

目が覚めた後も、あの「死」を感じた切迫感が忘れられずにいました。

それなりに幸せに楽しく暮らしていたつもりだったけど、私、まだやり残したことあったんだ。

死にたくなかったんだ。

ずっと頭の片隅でぼんやりと「死」を考えていたようで、いざ現実味を帯びたら逃げ出したくなった。

そんな自分がいることに驚きました。

それならば、いつ死んでも後悔のないように生きなきゃね。

あの感覚を忘れないようにしよう。

無力感にうちひしがれる

そんなことを決意したはずなのに。

頑張っても頑張っても成果が出ず、無力感に打ちひしがれて「私なんて生きていてもしょうがないんじゃないか」と思ったことがあります。

息子のアトピーの件です。

「何で息子を治してあげられないんだろう」

「こんな体にしてしまって…息子に申し訳ない」

「楽になりたいな…」

お子さんのアトピーを苦にして心中された方のお気持ちも、こんな感じなのだろうなと想像しました。

私はあの切迫感を思い出せたから、その選択を振り払うことができましたが。

泣きたくても泣けなくて、誰にも頼れなかった時期でした。

「仕事は辞められるけど、お母さんはやめられないもんなぁ…」なんて考えたりして。

「何てことを考えてるんだ、私は」と打ち消していました。

今思うと、私は「息子の母」をやめたかったのではなく、何とな〜く私の中にあったイメージの「いいお母さん」をやめたかったのだと思います。「それなら、すぐやめられるじゃん!」と今なら思えるけど、当時はそう思えなかったんですよね。不思議なことに。

親の願い、子どもの願い

さんざん頑張ったからこそ、無力感にさいなまれたんですよね。

頑張っても報われない、空回りしている。そんなことを感じたけれど、子どものことを一生懸命考えたことは間違いないです。

子どもは、愛を感じてくれている。それで十分。

「子どもの幸せは親の願い」ですが、「お父さん、お母さんの幸せは、子どもの願い」。

だから、子どもが自分でできることはどんどん手放して(「自分でできた!」を積み重ね)、親が自分を満喫し、ハッピーオーラをまとっていることは、子どもの幸せ。

生きているからこそ、親も、子も、自分の人生を満喫しましょ。

「アトピーさえなければ幸せなのに」と思ったこともあったけれど、幻想でした。

アトピーがあっても、生きて、自分を大切に扱い、誰かのお役に立てることで、幸せは存分に感じられるんですよね。

私が困っていると「おれにできることある?」と助けてくれようとする息子に、そんなことを感じた今日でした。

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お母さんのセルフケア

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