私のアトピー子育て物語

はじめまして。あしだちかと申します。

まずは私が、アトピー子育てに悩む前に、自分の病で悩んだ経験からお話させてくださいね。

初めての手術から、まさかの展開

私は20代まで、病は「治すべきもの」「嫌なもの」と思い、すぐにお薬や病院に頼る暮らしをしていました。

特に大きな病気も、入院もしたことがなかった私。
ある年のお正月、顔を右上に引きちぎられるような激痛があり、眠れないほどだったので、病院に行ったところ、耳下腺腫瘍があることが分かりました。

30歳で初手術。

2つの後遺症が残りました。
顔面神経麻痺挿管性肉芽腫(そうかんせいにくげしゅ=全身麻酔の気管挿管時に声帯に傷がついて炎症を起こし、ポコッとできものができた状態。喉のずっと奥の方が痛み、声が出づらくなりました)。
 
顔面麻痺が避けられないことは、説明されていたので分かっていましたが、肉芽腫は想定外。
医師には再手術を勧められました。
でも、一度の手術で、ものすごく体力が落ち、まだ回復していなかった私は、再手術に全く気が進みませんでした。

再手術なんかしたくない!

全身麻酔でできたものを、また全身麻酔で取るんですか?

それって、また同じことになる可能性もありますよね?

そうですね。挿管時についた傷に胃酸か何かしらの刺激が加わってできたものなので、次回も可能性はあります。

何とか手術しない方法はありませんか?

何か、家で気を付けるといいこととか…

うーん、胃酸を抑える薬を出してみますか。あとはカフェインや辛い物など刺激物は口にしないようにして、枕を高くして寝るとかですかね。

私は医師のアドバイスを忠実に守りました。
しかし数か月たっても変化は見られず…入院と手術の手続き書類を渡されて崖っぷち。

さぁ、どうする?

切羽詰まった私に「アーユルヴェーダは医学と通じている」という言葉が降ってきました。
(…え?と思われるかもしれませんが、ほかに説明しようがない(^_^;))


早速インドの伝統医学・アーユルヴェーダの先生の元を訪れ、相談させていただきました。
アーユルヴェーダでは、食事法、生活法など日常の中でできることがたくさんありました。

「できることは全部やってみよう。何とかなるかもしれない」

希望が見えて、私は手術をお断りしました。

アーユルヴェーダの学びと実践を続けながら、体と感覚が変わっていくのを感じました。
術後、弱っていた体力も少しずつ戻っていきした。
でも、肝心の肉芽腫は小さくならず…。

病を嫌っていない?

そんなある日、アーユルヴェーダの先生に言われたのです。

肉芽腫を嫌っていませんか?

人も嫌われたら「何だよ!」って意固地になるでしょう?
それでは、ずっと異物のまま。

そうではなくて、肉芽腫と仲良くなって、とけあうイメージをしてみては?

私には全くない視点でした。
病も、人と同じなのか。
「治そう、なくそう」とするのではなく「もともと私の一部なんだから、元に戻ってもらうイメージでいい」ということが腑に落ちて、入浴時に毎回、肉芽腫に話しかけ、細胞分裂しながら元に戻っていくさまをイメージしました。
私たちは日々生まれ変わっているんだ、と思い出させてもらいました。

病は体からのメッセージ

アーユルヴェーダ生活を続けて、半年後。
病院で診ていただいたら、あんなに頑なだった肉芽腫が血豆になっていました。

かさぶた状態ですね。そのうち自然にポロッと取れますよ。

ホッとしました。
これで手術は完全に不要になりました。

肉芽腫があると分かった時には「なぜ、こんなことに…」と思ったけれど。

そのおかげで新たな出会いがあり、「自分で治す」とはこういうことだ、という感覚を得ました。

「病は嫌なものではない」
「病はメッセージ」
病にも意味がある、と考えるようになったのです。

息子のアトピー、何とかしなきゃ

そんなありがたい経験をしたにもかかわらず、「自分」と「子ども」では感覚がまた違うということを思い知ることになります。

息子を出産し、1か月健診で「アトピーかもしれないよ」と言われ。
最初は「大丈夫でしょ」と余裕をかましていましたが、だんだん悪化してくると、焦りを感じ始めました。
息子のアトピーと「仲良くなってとけあう」イメージなど全くできなくなり、「何とかしなきゃ」と闘う方へ、グイグイと引きずられ…。

傷だらけ、血まみれになる息子を見るたびに胸が締め付けられました。
「私がこうしてしまった…」

生後2か月で、意を決して、皮膚科に連れていくと、何の説明もなく、いきなりお薬を塗られました。驚きました。

みるみる別人のような白い肌になっていく息子を見て、ザワザワとした違和感を覚えました。
傷も、湿疹も、綺麗に消えたのはありがたいけれど…これは、アトピーになる前の肌とも違うような。

それからは病院とのお付き合いにしばらく悩みました。

いただいたお薬を塗っても、痒がる。
抗アレルギー薬を飲ませると、さらに痒がる。

ホラー映画みたいな副反応も起きたりして、お薬を使うことに慎重になっていきました。


せめて、身の回りからと食べる物、着る物、室温など気を使っていても、息子は赤くなったり、粉をふいたり、血まみれになったり、ジクジク滲出液が出たり。

傷が増えていないか確認するのが日課となり、寝る前にはリラックスどころか「今夜も何とか乗り切るぞ」と毎晩気合を入れる。

そんな暮らしを続けて、私はエネルギーを使い果たし、心にも体にも余裕がなくなっていきました。


私はどこで間違えたのだろう。

そう思いながら、突破口を求めて、アトピー改善のため、各種整体、鍼灸、分子栄養学、ホメオパシーなど、いろいろ駆けずり回りました。
それでも、息子が快方に向かっているように見えない。

「なんか、空回りしてるよね」

「このまま治療法を探し続けても、堂々巡りじゃない?」

あの時と何が違う?

「もうこれは、方法論ではないな。私のメンタルの問題かも」

肉芽腫の時の経験が、ずーっと私に「本当にそれでいいのかい?」と問いかけてくれているのには気付いていました。
なのに、息子のアトピーに関しては「仲良くなってとけあおう」と頭では分かっても、なぜかできない。

そこで、肉芽腫の時との違いを考えてみました。

「あの時は、毎日ゆっくりヨガできていた」

ヨガは自分と向き合う時間。
産後は、短時間や「ながら」で、自分のために集中する時間はつくれていませんでした。

息子のことで頭がいっぱいで「ヨガどころじゃない!」「時間がない!」と思いこんで、自分をどんどん後回しにしていたのです。

かつて、ヨガの師に言われたことを思い出しました。

「何かに依存するなら、ヨガに依存したらいい」

そっか、アトピーの治療法ジプシーをするのをやめて、ヨガしてみよう。

私の「正解」と出会える気がして再開してみたら、硬くなった自分の体にも驚きましたが、それ以上に、思うように動かない体に対する心の反応のしかたの変化に気付いて、愕然としました。

「今はできない」という事実を「そのまま受け入れよう」と思えなくなっている。

「何とかして変えなきゃ」という気持ちが強い。 

これは、私のアトピーに対する気持ちと同じだ。
子育てする中で、いつの間にか「親として、何とかしなくちゃ」「私がこの子を守らなきゃ」という思考が強くなり過ぎていたんだ。

この子には、力があるのに。

そっか。そうだったのか。

もどかしさの正体が見えたような気がしました。

「私が何とかしようとしなくていい」
「私ができるのは手助けにすぎない」
「この子は大丈夫、と信じよう」

子どもの力を信じてみたら

「この子は大丈夫」
そう信じて、息子も、私も、やりたいことをするようにしたら、嬉しい変化が起こりました。

私から隠れるようにして、時には押し入れに入って動画を見ていた子が、自分から「これ、面白いんだよ。この人はね…」と説明してくれたり。
知らないうちに、ゲーム実況動画だけでなく、料理、科学、歴史、政治など、幅広いジャンルに興味を広げていることが分かったり。
父ちゃんと急に政治について議論を始めたり、時々「何、それ?」と質問する私に丁寧に教えてくれたり。

頼もしい姿がたくさん見られるようになったんです。

「やっぱり、この子は大丈夫だ」
息子に対するリスペクトと信頼が高まっていきました。

アトピーの痒みが出た時も、傷を増やさないようにと以前はすっ飛んでいきましたが、それはやめました。

基本的に息子にお任せ。もし、私の助けが必要な時は、息子に、どうしてほしいか教えてもらって、早くおさまるようになりました。

その時々でお願いされる箇所や対応には特徴があって、やっぱり肌だけでなく内側の影響もあるなぁと感じています。

病は、自分の感覚に意識を向けるきっかけになりますね。

思いが現実をつくる?

ある日の早朝のこと。

いつものように、息子がガリガリと掻きむしる音が聞こえました。
反射的に私は不安と心配に包まれ、血まみれになった息子を頭に浮かべていることに気付きました。

あれ?「思考は現実化する」っていうよね?

こうやって血まみれ息子をイメージしていたら、それが現実になっちゃうのでは?
うわ、それは嫌だΣ(・∀・;)

さぁ、どうする?

すやすや気持ちよさそうに眠る息子、幸せな気持ちで眠る私の姿をイメージしてみよう。

とはいえ、人の思いというものは「スイッチオン!」ですぐ変わるものではないですよね。
でも、私はヨガの手法を使って、無事切り替えることができまして。

息子の掻きむしりは1分で止まり、すやすやと寝始めました。

「おぉ~!」と思って、何度も実験しました。
不思議ですが、これも本当のお話です。

血まみれの記憶を辿ってみると

そもそも、血まみれになったのはもう何年も前のお話。
今はどれだけ掻きむしっても、血まみれにはなりません。

今となっては、彼は当時、必要があって血まみれになったんじゃないかと思います。

きっかけは「学校に行きたくない」。
最初、息子の気持ちは、私たち大人に押さえつけられそうになりました。

でも、彼は諦めなかった。

掻きむしり、顔中血まみれにして訴えてきたのです。

それで、私は
「学校は、こんなになってまで、行かねばならないところじゃない」
と腹をくくりました。

先生方にもお話して、温かく受け入れていただきました。

これをどう見るか、ご意見はいろいろあるでしょうが。

私は「アトピーのおかげで、息子の心や感性を守れたのかもしれない」と思うことがあるのです。
その根拠は、その後、ゆっくりと目の輝きを取り戻していった息子です。

私の大好きな、息子のキラキラした目は、今も毎日見られます。それが単純に嬉しい。

学校の勉強は何歳からでもできる。

息子は今、とても大切なことを体を通して学んでいるのだと思っています。

寝ている息子の隣で、そんなことを思い巡らせていたら、自然と「ありがとう」という言葉が出てきました。
すると、寝ている息子のお腹の上で「キランッ」とアトピーが喜んだように感じました。

ようやく言えた。
「今まで、嫌ってごめんね」
温かい涙が流れました。

アトピーっ子が安心できる社会を

「何をすれば、この子のアトピーはよくなるのだろう」 

さんざん悩んだ私が辿り着いた先は「思いを大切に扱う」ことでした。

私も、家族も、それぞれの思いを尊重するようになり、我が家のペースはかなりのんびりしたものになりました。

以前よりもずっと、思っていることを語り合い、楽しい妄想大会をして笑う毎日になりました。

それから、自分たちでも驚きの展開なんですが。
今まで足が向かなかったアトピーの聖地・豊富(とよとみ)温泉へ、湯治に出かけるようになって
「空気が最高だし、大好きな景色もあるし、息子は元気になるし、もうここに住んでしまいたいなぁ…」と思いまして。

その衝動のままに動いてみたら、トントン拍子で豊富町に移住できることになりました。

人生は自分で舵をとって変えていけます。
何を選ぶかは自分の思うがまま。

以前は、そんな言葉を「遠いお話」に感じていたけれど(^▽^;)

アトピー子育ても、しんどい方を選ぶか、楽しい方を選ぶかは自由です。
とはいえ、しんどい方に引きずられてしまい、楽しい方に向かいたくても難しく感じられるかもしれません。
「本当に、それでいいの?」とメンタルブロックがいくつも阻んでくるからです。

子どもは親の幸せを願ってくれています。
アトピーっ子は優しいので、なおさらです。
親の、腹の底からの笑顔は安心のお薬にもなるはずです。

私は、毎日自然な笑顔でいられる「幸せなアトピー子育て」を広げていきたいです。

もっと言うと、敏感センサーを持ち、エネルギーと才能あふれるアトピーっ子が幸せに暮らしやすい社会をつくりたいです。

アトピーっ子が右肩上がりに増えているのも、きっと、この社会へのメッセージ。

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