こちらの記事を読んでくださった方からご感想をいただきました。ありがとうございます!
拝読したところ、お子さんはそれまで採血を嫌がることはなかったのに、先月は嫌がったとのこと。とても興味深いので、いただいたご感想を一部シェアさせていただきますね。
「私が息子をどう思うかで、その思いが反映されるんですね。私はどう思っていたのかな?と自分のその時の心境を振り返ってみると、私の中には『この検査、本当に必要なの?』という不信感がありました。(略)『検査しすぎ!』という違和感があり、納得できなかったのだと思います。それが息子に伝わったのかな? でも『こんな思いまでして採血しなくてもいいよね』と言ったら、なんかあった時に親としての管理能力に問われたくない! だから、息子に強行手段に出てしまったのかな?と思いました」
ご自身の思いをよく見つめ、よくぞここまで言語化してくださいました。素晴らしい~☆
違和感は宝物
「違和感」って、とても大事なアンテナです。「何となく」で迎合しない、自分の内なる声を聴けているからこそ感じられる力。
個人的には、その違和感を正直に発してみてもよかったんじゃないかなーと思いました。面と向かって言いづらいお相手や雰囲気だったのかもしれませんが。何か遠慮しちゃうことってありますもんね。でも「どうしてもやらなきゃダメ?」と軽く聞いてみたら、意外と「じゃあ、やめとくか(・∀・)」となったかもしれないし、ならなかったかもしれない…
私たちって実はたくさん選択肢があるのに、選択肢がないように錯覚していることが多いです。相手に聞いてみないと選択肢を提示されないことが多い、というのもあるんですが。なので、とりあえず「〇〇したいんですけど、何かいい方法はないですかね?」なんて感じで軽く望みを放ってみると、意外と対応していただけたりします。
「万が一のことがあったら、親としての管理能力を問われるのではないか」という恐れは、私も抱いて萎縮してしまったことが何度もあります(今も時々顔を出します)。私の場合は、そこも掘り下げていってみたら「しっかりした親に見られたい」という気持ちが見えてきて「へぇ~、私、そんなこと思っていたんだ」とちょっと笑えてきました(←当然、掘り下げた先は個人差があります)。自覚のない自分像が見えてきて面白いんですよね、自分の観察。
とりあえず言ってみる、というのは気持ちを外に出して、後々くすぶらせないためです。「こんなことを言ったら、どう思われるかな…」と慎重になることはあっても、押し殺してモヤモヤを抱えたままで放置すると、いずれ大きく膨らんだりしますからね。
自分への配慮でもあります。
本人の思い
子どもは嫌がっているけど「万が一何かあったら大変だから…」と採血を強行することにした大人たち。その奥には「この子に元気でいてほしい」という共通の愛があります。採血の必要性に対する思いは人さまざまでも、目指すところは同じなんですよね。
お子さんご本人のお気持ちはどうだったんでしょうね。お母さんと同じように違和感があったのかな? 大人たちの愛を感じられたかな? 本当はどうしたかったかな? どう思ったかな? きっと「怖い」「嫌だ」だけではない思いもあったでしょうね。
子どもって、大人の想像を軽く超えてくるじゃないですか。私も、息子に「どうしたかった?」「どう思った?」と聞いて、何度も「へぇ〜、そんなこと考えてたんだ」って新鮮な気持ちになります。
最初は話したがらないかもしれません。気持ちを言語化するって、簡単なようで、大人でも難しいんです。だから、すぐには答えられなくてもいいんです。投げかけてみたら、考えて忘れたころに答えをくれたりしますから、しばらく待ってみてください。そのうち、だんだんと自分から話してくれるようになります。
「どうしたかったか、どう思ったのか」答えをもらってみると、子どもが大きく輝いて見えることがあります。「うちの子、すげー!」って感動しちゃいますよ。
目の前で起きていることは、自分の思いのあらわれといわれます。悩んでばかりいた頃は「どういうこと?私はこんなの望んでない!」と思ったけれど、さらに自分の思いを掘ってみたら、自覚なく私にネガティブな望みがあったことが分かり・・・青ざめました。そんなわけで自分の思いを観察するのが面白くなり、子どものアトピーに関して得られた気付きを7日間の無料メルマガにまとめました。ご興味のある方は読んでみてくださいね。
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