
「ヨガをしています」というと
「毎日やっているの?」
とよく聞かれます。
この時の「ヨガ」とは、おそらくポーズや瞑想をイメージされているのかなと思います。
毎朝、日課にする中で
以前は毎朝、日課としてやっていたこともあります。
当時の私にとっては、気持ちよく過ごすために、必須なお楽しみでしたから、無理なく続けられていました。
その一方で、生活の中に「これも、ヨガだなぁ」と感じることが増えて、「ヨガって、何かをしなければいけないようなハードルの高いものではないのでは」と思うことも増えました。
「ヨガ」の意味
「ヨガ」という言葉には、「くびきをつける」「結び付ける」という意味があります。
ポーズや呼吸、瞑想は、その手段で、そのものがヨガなわけではなくて。
目の前のことをやっているだけでも、自身との結び付きを感じることもできるんだな、とヨーガ療法を学んで思うようになりました。
日課ではなくなった時
しかし、出産後、だんだん目の前のことでいっぱいいっぱいになっていきました。
気付いたら、身も心もガチガチになってきました。
必死に毎日を生き延びるように暮らして、慢性的な寝不足による疲れとイライラ。
自分を後回しにし続けて、ヨガする時間もないと思い込んでいたというか…無自覚に「私が悪い」と自分に罰を与えていたのかもしれません。
けれど、忍耐力がないから、そんな暮らしを変えたくなって。
何を変えようか、と思った時に「何かに依存するならヨガに依存しなさい」と言われたことを思い出して、また時間をつくることにしました。
ご褒美の時間、復活です。
ダメ出しに気付く
そうしたら、とても自分が喜んでいるのが感じられた一方で、できていたことができなくなっていることを責めていることに気付きました。
あー、こうやって私は自分にダメ出しし続けて、しんどくなっていたのか。
日常的になって無意識になっていたことを、意識化できたら、日常的にダメ出ししていることにも気付けました。
「できない」は伸び代
一人反省会は得意です。
グルングルン自分を責め続けて、ずーっと堂々巡りすることもできます。
だけど、冷静に考えると、できなかったことを反省し続けても、その欠けた部分は埋まらない。
でも、未来に生かすことはできます。伸び代です。
伸び代があることを喜んで、これからの変化を信じていればいい。
どのぐらいで変われるか人体実験するような気持ちで。
そう思うようになって「ヨガタイムをつくりだせなかった期間もまた必要だったのだな」と思うようになりました。
新しい?ヨガの楽しみ方
「できない」を味わい、いたわる。
滞りを感じ、いたわる。
「あれ?」と感じた時の心の動きを、スキャンするように観察できる。
そんな楽しみ方ができるようになりました。
「ヨガは、体の硬い人にこそ向いてるんですよ」
師から教えていただいた、このことを、言葉だけでなく体感できて、腑に落とすことができました。
「やらない」はダメではない
やっている時と、やらない時。あるいは、やれない時。
その違いを感じられるのも、自分の観察ですよね。
それを経て、「やらなきゃ」と追い立てるのではなく、自ずと「やりたい」力になり得ることを考えると、必ずしも「毎日やらなきゃ」と思わなくていい、と私は思うのです。
まずは自分の気持ちの観察から。
自分のペースで、大丈夫です(*^^*)

