
「息子は学校に行かない選択をしています」
と言うと
「アトピーがひどくて、学校に行けないんだね」
と思われることがよくあります。
確かに、アトピーも関係あると思います。
でも。
私は、それ以外の要因のほうが大きい気がしています。
行かないのか、行けないのか
息子は小学校に入学後、すねに謎の湿疹が出て、最初は痒くなかったのに浸出液が出るように。
毎日、対策に頭を悩ませながら学校に通わせていました。
「お腹が痛い」と連日学校を休むようになったのは、小1の12月。
発表会が終わった代休明けのことでした。
念のため、大きな病院に行ってお腹を検査。
大きな問題はない、と分かると次の日、発熱。
熱も下がると、湿疹がなかったはずの顔に湿疹が。
やがて掻きむしるようになり、顔中血まみれにして
「家で勉強するから、学校に行きたくない」
と訴えられました。
原因探し
「学校に、どうして行きたくないの?」
つい、私は聞いてしまいました。
自分だって子どもの頃、学校に行きたくないと思ったことがあったのに。
改善できることならば、何とかしたいと思ったんですね。
「何でも言ってみて?」と言う私に、小学1年生の息子はたくさん挙げてくれました。
賑やかすぎる。
休み時間が短すぎる。
図工など頑張っている最中でも、時間が来たら終わらなければならない。
トイレが遠い…などなど。
集団行動が苦手?と見られるかもしれません。
けれども、彼は、幼稚園で3年間「やりたい」も「苦手だけど頑張る」も、皆と一緒にやってきました。
自由になりたい
ただ、幼稚園で「見守られる」だったのが、学校では「監視される」と感じるようになったのかもしれないな、と考えるきっかけがありました。
新型コロナウイルスで学校が休校になったり、三密を避けるように学校行事や授業の形が変わっていく様子を、少し離れたところから見聞きしているなかで
息子が4年生の時、同じ学校のママ友に「マスクを義務化されているのがつらくて…」と相談されました。
息子に「◯◯くんのお母さんに、こんなことを相談されたんだけど、同じ学校を経験したあなたはどう思う?」と聞いてみると

学校では、先生がものすごく大きな存在なんだ。子どもたちは「決まり」が守られているかチェックするんだよ。
それを聞いて、息子が1年生の秋に「自由になりたい」と何度も呟いていたことが思い起こされました。
コロナ禍で「マスク警察」なる言葉が生まれたけれど、学校の中でも、コロナ禍前からそういうことがあったということ。
それは驚くことでもなく、私が子どもの頃にも普通にあったことで。
「あー、そういう人いるよね」とスルーしていた自分に気付かされました。
おれは、どうすればよかったの?
息子の中には、学校で感じた息苦しさや戸惑いが、ずっと残っていたのかもしれません。
同じ年の秋、二人で映画を見ました。
アメリカの小学校で、子ども主導で環境問題に取り組むお話でした。
自分が通っていた学校と、国も雰囲気も違うとはいえ、画面越しに「学校」というものに触れたからでしょうか、その日の夜、苦しそうに顔を歪めている息子がいました。
「どうした?」
声をかけると、言葉より先に嗚咽(おえつ)し始めました。
「感情の詰まり」という表現がぴったりくるような、苦しげな嗚咽。
「泣いていいよ」と背中をさすり、時間をかけて、号泣できるようになりました。
少しずつ言葉になって、話してくれたのは
小1の夏に学校で起きた出来事。
私も知らされていなかった、先生とお友達とのやりとりでした。
「おれはどうすればよかったの?」
私は答えに詰まりました。
これを、ずーっと、一人で抱えてたのか。
私にも言えなかったんだな、3年も。
申し訳なかった。
その後、何度か思い出すたびに泣きながらその話をしてくれて、だんだん泣かずに話せるようになりました。
先生も、人間だからね。
きっと、いろいろあったんだろうね。
そう思えるようになるまで、私たちにも時間が必要でした。
内と外の境界
「顔のアトピーは、自分の内と外の境界が壊れている状態だよ」
と、かかりつけ医に言われたことがあります。
「境界」といえば。
息子は、小さい頃から、人や場が持つエネルギーに敏感でした。
じ~っと観察して「行かない」という時もあれば、パッと入っていくこともあり、その差は何なのか私には分かりませんでした。
そんな子にとって、学校のように「行くのが当たり前」が大勢な場所は、それまで持っていた選択肢を失ったように感じてしまったのかもしれません。
私が見えていない、感じていないエネルギーを、彼は見て、感じている。
それが自分に合うか、合わないかも察知できる。
私たちなりにアドバイスはするし、私たちのことに巻き込むこともあるけれど、最終的には、本人が決めるのが一番だと思うようになりました。
学校と距離を置いたことで分かったこと
アトピーを抱えながらの通学は、心配も多い日々でした。
給食、プール、身体測定、体育、校外実習、教室の湿度、温度など、考え始めたらキリがない。
学校に行かない選択をしてからは、体調に合わせられる自由はあるけれど、勉強の心配をし始めて。
子どもがどうあっても、心配が広がっていく自分に呆れました。
私はいつからこの子が、この子らしく元気に生きていく姿を信じられなくなったのだろうとハッとしました。
息子が赤ちゃんの頃を思い出しました。
生後1か月にもならない子が、全身で「おれはミルクじゃなくて、おっぱいを飲みたいんだ」と私に気持ちを伝えてきたことを。
この子は弱い子じゃない、強い子だ。
だから、学校に行かない選択も、アトピーも、この子は味方にしていける。
親バカかもしれないけれど、そう信じることにしました。
「子育て」じゃなく「子育ち」。
親は子に育てられるというけれど、ホントだなーと実感しています。
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