しんどいアトピー子育てから、宝物のアトピー子育てへ

赤ちゃんの頃からの闘い

「アトピーかもしれないよ」
息子の1か月健診が終わって診察室の外に出ると、看護師さんから声をかけられた。
「これは乳児湿疹で自然に治る」と信じたかった私は、心の中で反発した。

私の思いに反して、息子の湿疹は広がっていった。最初は痒そうではなかったのに、だんだんとこすりつけたり、掻いたりすることが増えていった。

不安は膨らみ、現実になっていく。

母に勧められた皮膚科に連れて行くと、「あぁ、アトピーだね」と当たり前のようにストロングクラスのステロイドを塗られた。

息子の湿疹と傷は魔法のように消えた。
2回目の受診時、待合室で見知らぬ方に「あら、お肌きれいだけどアトピーなの?」と言われるほどに。

その劇的効果に、逆に不安を感じた。赤ちゃんにこんな強い薬を使って大丈夫なのか?と。

湿疹が見えなくなったら解決、とは思えなくて原因探し、対処法探しで頭は常に忙しかった。
デトックス野菜スープに、ビワの葉風呂。
お風呂上がりは急いで保湿。
あわただしく毎日が過ぎていく。

ステロイドをやめると、息子は傷があるのが当たり前になってしまった。
「私が、こんなふうにしてしまったんだ」と無力感に打ちひしがれた。

息子の本来の状態を取り戻したい一心で、脱ステ医や漢方薬局のお世話にもなった。
早寝早起きを心がけ、毎日外に出て、食べ物に気をつけ、足湯をし、お風呂には特別なヒマラヤ岩塩を入れ、腸内環境が…皮膚常在菌が…と、とにかく必死だった。

念願叶い、幼稚園入園前に、ほぼよくなったように見えた。
夜も安眠できるようになり、しばしの平穏が訪れた。

が、1年も経たず再び悪化することになる。

治療ジプシーの末、自然療法クリニックへ

「アトピーですね」
年少さんの冬、初めて股間を痒がったため、別の皮膚科に連れて行くと、選択肢なく再びステロイドを塗られた。

それからまた、小児科や皮膚科、整体、鍼灸、分子栄養学、ホメオパシー…いろいろとお世話になった。

しかし通うことに疲れてしまった。
ずっと走り続けてきたけれど、立ち止まりたくなって、息子の治療に奔走するのを休むことにした。 

情報を求めるのをやめてみると、思いがけないところから、スッと与えられることがある。

それからしばらくして、あるミーティングに参加した。
休憩時間に皆で雑談する中で、子どもの病院の話になった。
1人のメンバーの末っ子ちゃんが、甲状腺疾患で大学病院に長く通院していたそうだ。
ところがなかなか回復せず、自然療法クリニックに通院先を変えたという。
そこでは血液検査によって体に合う食べ物、合わない食べ物を指導され、疲れやすかった末っ子ちゃんは、元気に走り回れるようになったとのこと。

息子の食事作りに試行錯誤を続けていた私は興味を持った。
帰宅した夫に話すと「行ってみたら」と背中を押された。

初診時、息子の顔からは滲出液が出ていたし、ズボンを脱ぐと古い皮膚と浸出液が固まった粉がバラバラと音を立てて落ちた。

クリニックでは何を食べ、何を避けたらよいか、病気やけがのとらえ方など多岐にわたるいろいろなことを教えていただいた。
家族療法のクリニックだったので、息子だけでなく夫と私も一緒に診ていただいた。
食事だけでなく、排泄のこと、暮らしの中でできることをいろいろと教えていただいた。
私たちの体や精神面から読み取れることも、その都度教えてくださった。

「この子は素晴らしい子だよ」
たくさん励ましていただいた。

「もう何もしたくない」

とはいえ、なかなかの重度アトピーとマルチアレルギーの息子。
数々の回復例があるクリニックでも、難しい患者の部類。
当初「治るまでに3年かかる」と言われていたが、3年近く経っても「もう少し」という感じはしなかった。

初診時に比べれば、よくなっているように見えるが、血液検査の数値はむしろ悪化していて「努力が足りない」と言われているような気持ちになってしまう。

「私は頑張っているのに」
思うようにならず、やきもきする私に対し、夫と息子は好き放題に見えた。
好きなだけ食べて、ほとんど動かない。ゲーム・動画三昧、そして夜更かし。
息子が小さい頃はコントロールできていた生活サイクルが、小学1年生の終わりには私の手が及ばなくなっていた。
夜中も盛り上がっている夫と息子に、私はイライラと孤独感を募らせた。
時には泣きわめき、怒鳴り散らすこともあった。

こんなはずじゃなかったのに。
私は間違えてしまった。
何とか軌道修正できないものか…

一時期、クリニックの指示で毎日肌の状態や、便、食事、運動、睡眠時間、ゲームの時間などをざっくりと記録していたことがある。

少しでも努力している様子を書きたいのに。
「私がうまく導けないからだ」と自分を責め、すっかり苦しくなった。

通院日に記録を書きながら、たまらず用紙の余白に心の叫びを書いていた。
「もう何もしたくない」

問題はアトピーではなく私?

「もう無理…」
息子のアトピーを治すために必死になりすぎて、私はエネルギーが枯渇してしまっていた。

「これからどうする?」と自分に問い続けるうちに、フッと浮かんだ。
「もう治療法じゃないな、私だな」

でも、そう浮かんだところで、簡単に切り替えることはできなかった。

「私」をどうすればいいわけ?
出産前、息子のアトピーで悩む前の私なら、どうしていただろう?

思いついて、産後遠のいていたヨガを恐る恐るやってみると、別人の体のようにガチガチになっていた。

「え、何これ」

自分がどんなに頑なになっているか、体に教えられた。

しなやかに、穏やかに、息子もアトピーも包み込めるようになりたい。
なのに、どうしてもアトピーを嫌ってしまう自分がいる。
意識を変えたくても変えられない、頑なになっている自分が。

どうしたらいいのか、誰に相談したら解決するのかと思いながら、何となくFacebookの朝活ライブを見ている中で、思い込みを外すのが得意な親子関係コーディネーターさんに出会い、個人セッションを申し込んだ。

「息子さんのアトピーは自分のせいだと思ってません? 違いますから」
それまでさんざん周りに言われてきたことを、初めてハッキリ否定された。

涙が溢れた。
私は自分で思っていた以上に、自分を責めていたらしい。

「何とかしようとしなくていいんです」
「息子さんは、自分で今の自分の体を選んで生まれてきたんです」

昔読んだスピリチュアル本を思い出した。私たちは、自分が望む学びと経験のために最適な体と環境を選んで生まれてくるのだと書かれてあった。
それを私目線で考えたことはあったけれど、息子目線で考えたことがなかった。

「息子が手元にいるうちに何とか治さないと」
「こうなったのは私のせいなんだから」
「息子は自分でやらないし、夫もやってくれない。私が頑張らないと」
と全てを自分の課題と見なして背負い込んでいた。

それが息子の学びと経験の機会を奪うことになると気付かずに。

子どもの肌より自分の感情を観察する

「息子さんは、もう自分でできますよ。その方が自分ごとになります」
「息子さんのことを見過ぎなんですよ」
親子関係コーディネーターさんは続けておっしゃった。
「もっと自分にかまけたらいいんです」

かまける…? 予想外の言葉が出てきた。

しかし、思い当たることがあった。
私はやりたいことがいろいろあるのに、息子のケアと家事でいっぱいいっぱいだった。
常に自分を後回しにする癖がついていた。
それが当たり前だと思っていた。
私はお母さんだから。
お母さんはそういうもの、という思い込み。

「やりたいことが思い浮かんだら、間髪入れずにやってください」
と言われて、素直に実行してみた。
家事を後回しにして、消しゴムはんこや、しめ縄を作った。
予想以上に喜びがあふれた。
没頭することで、息子を見る時間が激減した。

息子が痒い時は、意識して自分が何を感じ、考えているのかを観察するようにした。
ガリガリと掻きむしる音を聞くと、血まみれになった時の光景が自動的に浮かび上がってきた。
「あの頃とは違う。もうどんなに掻いても血まみれにはならない」
びくついている自分をなだめ、不安をはらい、安心に転換できるよう試行錯誤した。

不安と安心の間を行き来できるようになって初めて、私の感情が息子にも影響していることが分かった。
目線を変えて穏やかに過ごしていたら、息子も私も、夜よく眠れるようになり、悪化しやすい冬も耳切れしなくなった。
浸出液がたくさん出ていても、すぐにおさまるようになり、息子も「おれ、よくなっているんだな」と実感していた。

お互いに、やりたいことを尊重し、没頭する時間を持つようになったことで、「どうせおれなんて」が口癖だった息子から出てくる言葉も変わった。
「今日はこれに挑戦する!」
「おれ、すごーい!」
「今日も達成感で眠れるわ」

こうして日々「この子は大丈夫」という安心と信頼を積み重ねていった。

心配の空気と安心の空気

不安が小さくなって、安心が大きくなってきたら、息子の重度アトピーを理由にずーっと抑え込んでいた「津軽海峡を越えて、岩手に帰りたいな」という気持ちを叶えたくなっていた。
両親とも後期高齢者。
5年もの間、画面越しでしか会えていなかった両親の様子を実際に見ておきたかったのもある。
「息子がもっとよくなってから。もっと痒いのがおさまってから」と帰省を先延ばしにしていたが、息子の肌ではなく、私の問題だったようだ。

でも、いざ帰ってみると、心配の塊のような両親がいた。
久々に会う、かわいい孫だから、ついつい気になって見てしまう気持ちも分かる。
「みんなと同じものが食べられなくて、かわいそうだ」
「痒そうだな。何か塗るのはないのか」
「1人にして大丈夫か」
眉間にしわを寄せて、あれやこれやと心配する。

息子は反発した。
「おれは大丈夫なんだってば!」
「自分でできるよ、もう6年生なんだから!」
「もう、おれのことは見なくていいから!」

そんなやりとりを見ていて、両親を、以前の私のようだな…と客観視できた。
両親はとても不安そうだった。
孫に対する気遣い、愛なのは分かるのだけれど、受け取る方も確かにしんどかった。

安心と信頼のタネをまきたくなって、こんな言葉をかけてみた。
「息子は心配されるの嫌いなんだよね。この子は大丈夫!って信じてもらえないかな」
「食事制限はあるけど、毎日『おいしい!』って食べてるよ」
「私が知らないことも知ってるから、困った時に頼りにしてるんだ」

5年ぶりの帰省のおかげで、心配の空気と安心の空気の違いを、私も体感することができた。
息子は「自分でできる」「大丈夫」と思っているから、心配がものすごく煩わしく感じるのだ。
心配の空気にさらされ、のみ込まれそうになって、息子も「やっぱり大丈夫じゃないのかも」と不安になるのが嫌なのだ。
「見られる=心配もされる」と分かっているから見られたくないし、「成長した自分を認めてほしい」と思っている。
いつもと違う立場で見て、はっきりと違いが分かった。

不安渦巻く自分と向き合う

しかし、4ヶ月後の早朝。
異変に気付き目を覚ますと、息子が痙攣を起こし、口から血を流していた。
ぎっちりと食いしばっている口を無理やりこじ開けてみると、前歯が数本抜けているのが見えた。
救急車を呼び、抜けた歯を生理食塩水につけ、大学病院に入院することになった。

診断は低カルシウム血症。つまり、カルシウムが足りていなかった。
牛乳、大豆、魚介アレルギーのある息子にはサプリメントでカルシウム補充をしていたが、十分ではなかったらしい。

「母親失格だ」
「息子に申し訳ない」
「永久歯が抜けるなんて…取り返しのつかないことをしてしまった」
自分を責める言葉がどんどん出てくる。
検査室の廊下で待たされている間、持っていた小さな紙に、浮かんだ気持ちを書けるだけ書いた。
吐き出さずにはいられなかった。
書き出しているうちに、だんだん、気持ちが切り替わってきた。
「息子は絶対、大丈夫!」と。

切り替えたつもりだったが、目の前の現実にだいぶ揺さぶられた。
初めての入院。
痙攣はまた起きるのか。
心電図と点滴にいつまでつながれているのか。
歯はいつ入れられるのか。
入れた歯は再生するのか。
いつになったら退院できるのか。
心配、不安のタネは尽きなかった。

ストレスから息子の痒みも増していた。
「入院中に皮膚科も受診しては?」と担当医師に勧められた。
私の気持ちは決まっていたが、迷いが出た。
自然療法クリニックと大学病院、考え方も治療法も変わってくる。
どちらがいい、悪いではなく、どちらもありだ。
どちらが息子の最善なんだろう。

親の安心は、子どもの力を引き出す

入院生活は不安が日常。
言葉で「大丈夫」と言っていても、心が追いつかない。

こんな時は、気持ちを目に見える形で描くことにしている。
〇を描き、その中に、その時の感情にしっくりくる表情を描く。
絵文字みたいなものだ。
その周りに抱えている思いをどんどん書いていき、吹き出しで囲む。
もっと、もっと…と出せるだけ出す。
誰にも遠慮せずスッキリするまで。

こうすると、頭の中でグルグルと考えているよりも、奥にある感情まで出すことができる。
だから「私、そう思っていたのか」と自分でびっくりすることがある。
この作業を、入院生活でやってみたら、心強い味方がそばにいるように感じられ、呼吸が楽になった。
不安と疲れで元気がなくなっていた私の心に光がさした。
描いているうちに視点が変わり、これからの道筋が見えてきて「大丈夫だ」と思えるようになっていた。
思っていた以上に、描くことで余計な力が抜け、気持ちの切り替えがスムーズにできた。

私が安心できると、息子も本領発揮した。
病院スタッフに自分の希望をしっかり伝え、苦手な採血を自分の考えで乗り越えた。
自分のカルシウム値を予測して行動し、伸び悩んでいたカルシウム値はついに目標に到達した。

「今日、退院できるけど、どうする?」
担当医師の言葉で、その日めでたく退院することができた。

当たり前のことだが、不安はアトピーに限らず健康、将来、人間関係、日常のさまざまなところに存在している。
自分がどんなふうに思い、どのぐらい不安に思っているかというのは漠然としていて、何となく簡単に解決できない大きな問題のように感じられるものだ。

私の心が乱れている時は、息子のアトピーが悪化しやすい。
私が安心を取り戻すと、息子の顔の傷が小さくなるし、鼻歌も聞こえてくる。

アトピーっ子は周りの人の気持ちを受け取る感度が高い。
だから、子どもの前に、まず自分。
子どものアトピーを治すよりも、自分をいたわること、幸せでいることが大事だということが分かった。

アトピーを治すために、できることは何でもしてあげたいと親は思う。
アトピーが治ったら万々歳、最高にハッピー。
でも本当にそうだろうか。

アトピーがあっても、親子が幸せでいられる。
アトピーがあっても、子育てを純粋に楽しめる。
アトピーがあっても、子どもの才能は花開く。
私はそう信じている。

まずは、自分の心と体を整えよう

「何とかして子どものアトピーを治さなきゃ」
「親だから、子どものために頑張らなきゃ」

「責任」という大きな荷物を背負い込んでいませんか?
自分を責めていることに気付けたなら、そんな自分を許してあげてください。
あなたは、いつでも子どものために一生懸命頑張っています。
そんな自分を褒めてあげてください。誇りを持ってください。

そして、アトピーに限らず、つらい時、イラッとする時ほど、自分を愛おしんであげてください。
自分が何を思い、何を感じているのか。
喜怒哀楽、どれも大切な感情です。
人間らしく、たくさん感じましょう。
心にも、体にも向き合ってあげましょう。
自分でできることがたくさんあります。
自分の心と体を通して「あぁ、そういうことだったのか」と気付きが生まれ、次のステップが見えてきます。

ありのままの自分を受け入れられた親の安心感は、目に見えなくても子どもに伝わります。
自分をよく観察すると、子どものこともよく見えてきます。
子どもを何とかしようとあれこれ口や手を出さなくても、子どもが内側であれこれ考え、行動しているんだな、と分かるようになります。

アトピーに関してはさまざまな情報があり、調べれば調べるほど、どう取捨選択したらよいのか、我が子には何が合い、合わないのか混乱してしまいがちです。
迷子になった時は、立ち止まりましょう。
情報ではなく、自分と向き合ってみましょう。
情報検索を手放すと、不思議と求めなくても必要なことが浮かんだり、情報がもたらされるようになりますよ。

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