ベランダのムクナ豆さんがどんどん伸びていって、支柱を超えてしまいました。
支柱を伸ばしてあげようかなぁと思いつつ、このままだったら、この子はどうするんだろうと見守りたい気もして。
もう少し頑張ると、その先に使っていない物干し台があるんですよね。
それを分かっていて、ひそかに目指しているんじゃないかなぁ…なんて妄想中。
豆のつると思春期
昨日、ちょうど思春期のお子さんを持つお母さんのお話を聴いて、自分の中学・高校時代のことを思い出しました。
鮮明に覚えているのは、お祭りの日に「家族で出かけよう」と誘われたんだけど、何故かどうしても行きたくなくて「行かない!」と拒否して、「なんで?」と言われながらも1人留守番をすることにして。家族が家を出た後の静けさにホッとしたあの風景。
豆のつるが伸びるような成長期の真っただ中。
どこに向かって伸びていこうか。何をよすがにしていこうかっていう時期。
迷いながら、たくさんつるを伸ばして。
何か、ふわふわとして地に足がつかないような。
自分のことも、どこか人ごとのような。
バリアが張られているように、周りにもやがかかって景色がはっきり見えないような。
そんな思春期。
楽しいこともいろいろあったはずなんだけど。
思春期の鮮明な記憶は、お祭りの日のお留守番。
我ながら「なんだ、それ」って感じ(笑)。
思春期の愛
来週12歳になる息子。よく12年も育ってくれたなぁ。
時々「うるせぇ」と言うので、息子の声色をまねて「くそばばぁ」と続けて、反抗期ごっこをすることも。
今は満面の笑顔で「うるせぇ、くそばばぁ」と言ってくれるけど、そのうち眉間にしわを寄せて言われるかもしれない。
恐れを持つ必要はないな。成長のあかしだもの。
眉間にしわを寄せた顔も可愛いし。
「思春期は眼鏡を曇らせて見ておけばいい。ド近眼なら裸眼でいればいい」そうな。
目で見るのでも、耳で聞くのでもなく、奥にある愛だけを感じていればいいな。
アトピーっ子は、ひといちばい優しい。
思いは自由
豆のつるも、人も、どこに向かおうと自由だし、何かに巻き付くタイミングだってそれぞれ。
私は大人になってから「何をしたいんだろう?」と悩み始めて、周りの人が皆しっかり考えているように見えて、焦って、空回りして。
そんな時に出会った「私たちはどこへだって行けるし、何者にだってなれるのです」by太田朋さん。
この言葉にずいぶん励まされたものでした。
その時に、「不自由」って自分で自分を縛っている状態なんだな、と思ったはずなのに。
つい数年前まで、アトピーと闘いながら「不自由だ~!」って思っていた私(笑)。
そんな私が、アトピー子育てをしながらも、思い方を変えて自由を感じられるようになった、ということは、「環境」は「思い」に影響を与えるけど、「思い」で「環境」を変えることもできる、ということ。
うん、やっぱり、ムクナ豆さんは、放っておいても自分で巻き付く先を見つけられる気がします。
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