アトピーに対する考え方はさまざまなので、夫婦間で意見が異なることも当然あります。
一番近くにいるからこそ、時には強い味方にも、大きなストレスにもなり得ます。
自分も、きっと相手にとってはそうなんでしょうね~。
普段あまり考えないけど、きっとお互いさま。
こちらから話を切り出すことに意義がある
「今、話しかけたら嫌がられるよね」
「疲れているだろうから、こんなことをお願いしちゃダメだよね」
タイミングを見ることに労力を使って、夫に言いたいことをなかなか言えずにモヤモヤ…。
そんな時期が私はありました。夫への頼り方がすっかり分からなくなっていたのです。
「あれ? 息子が生まれる前はいろいろお願いできていたはずなのになぁ…」と昔を思い出す一方で、生まれた後の夫の変化を思い出しました。
息子は小さい頃からマルチアレルギーもアトピーもありましたから、夫は「何かあったら大変だ」と関わるのが不安だったのかもしれません。息子の面倒を見ることをお願いするたび断られていました。
それが重なったせいでしょうか。息子のことではなくても、夫にお願いするのを諦めてしまうようになりました。いつの間にか拡大解釈してすべて断られる前提で「私が頑張らなきゃ」「一人で何とかしなきゃ」と考えるようになっていたのかな、と今は思います。
実はそんなことはなかったんですけどね。夫は断るものも、OKなものもあるだけでした。
今のかかりつけクリニックに通うには、家族療法のため夫の承諾が必要でした。ちょっと変わったクリニックであること、最初は詳細な問診票を夫の分も書かねばならなかったこと、最初は自由診療になることなど、話を切り出すのに少々高めのハードルがありました。
「嫌がられるんじゃないか」「否定されるんじゃないか」…と壁を自分でつくってしまっていました。だからなかなか相談を持ち掛けられない。
この壁をつくるのは生存本能といいますか、断られても私の傷が浅く済むように…という私の防御本能であって、現実にそうなると決まっているわけではないのに。
それでも私が意を決して、そのクリニックに行ってみたいと思った経緯を話してみたら、夫は「おー、いいじゃん、行ってみれば」と言ってくれました。拍子抜けして、とても嬉しかったのを覚えています。
言葉を発するのは少々労力が要ります。誤解のないように、相手が聞きやすいように、気持ちが伝わるにはどうしたらいいか、と考えるから。でも、はっきりと「相談したい」「お願い」「手伝って」「助けてほしい」と言うことは、お互いに仲良くなるため、理解するためのきっかけをつくっているんですよね。
夫婦関係って、天秤にかけられてどっちが上とか下とかよく言われますが(かかあ天下とか亭主関白とか)、実際は対等で、ただパズルのピースがはまっている状態なんだと思うのです。
話すことにハードルを感じる時は「分かってくれるか不安」と思っているのでは?
「この人なら分かってくれる。私が選んだ人だもの」と思い直すと、ハードルが下がって、穏やかな気持ちでお話できますよ。
子どものために一緒に考えることに意義がある
私自身は肌のトラブルはほとんどありませんが、手術を回避するために自分でいろいろと頑張った経験があります。夫は親兄弟とも肌トラブルが割とあって、よく皮膚科のお世話になっていたみたいです。
お互いの経験をもって、息子の体や成長について時々一緒に話します。
私が見る息子と、夫が見る息子は少々異なります。その差異を聴くのが面白いです。「ふーん、そんなふうにとらえているのか。私はこう思っていたけど、私には分からない面があるんだなぁ」と。
人の経験や価値観はそれぞれだから、全く同じ景色が見えているわけがありません。
意見が異なり過ぎるのは確かにストレスになりますが、価値観の多様性という点で見ればとても豊かなことにも思えます。あらゆる考えがあることを知ることはマイナスではなく、子どもの選択肢、世界が広がります。
まだ息子が赤ちゃんの頃に、アーユルヴェーダスクールの先生に言われた言葉があります。
「どんな結論を出したとしても、子どものことを一生懸命考えて出したということ、それが一番大事」
どんな結論を出すかよりも、私が息子のためにと考えた、夫と二人で息子のために考えた、息子も自分で考えて決めた…という事実が大事なんだと思っています。
誰の意見が「正解」かということではなくて。
選んだ結論が、いずれ「正解」になっていくよう、事は進んでいるのだと思うのです。
気付かぬうちに抱えまくって膨らんでしまう「私が頑張らなきゃ」「何で分かってくれないの」という気持ち。何だか生きるのが息苦しいなと思ったら、頑張りすぎのサインかも。過去の私のように、パートナーや子どもに助けを求めることにハードルを感じたら、こちらの無料メルマガを読んでみてくださいね。
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